2021年9月9日木曜日

性に関する情報の扱いづらさについて

 関係ないけど、「 〜〜について」というタイトルのメールが良く来るけども、それ「について」の何なのか、つまり、アナウンスなのか、指示なのか、要請なのか、問い合わせなのか、とか思うことありますね。その辺を曖昧にしたいのでそれを使いたいのかな。
 千葉雅也の小説『デッドライン』が芥川賞候補作になったという話題について。小説の主人公はゲイであるそうなのだが、千葉雅也がそんなテーマを扱ったら炎上するのでは、と一瞬思ったら、自身がゲイであるということだそうだ。そんな話は今回のメディアの報道で初めて知ったのだが、昔から知られていたのであろうか。「有名っぽい」とか「周知の事実だと思っていた」とか「メディアで公にしたのはこれが初めてかも」などの情報をいただいたのだけども。
 ところで「千葉雅也ってゲイだったというのは初耳」というのは、メディアで公にしているので言っていいことだと思うのだが、三浦瑠麗は性犯罪被害にあっていたというのは、本人が著書の『孤独の意味も 女であることの味わいも』に積極的に書き記したことであるし(まだ直接読んだわけではありませんが)、NHKのクローズアップ現代に出演していたりもしたので、かなりオープンな情報なんだけど、なんか言及しづらい。ブログだとこっそり(?)言及しやすい(今のところこのブログは読まれてる感は感じないのでこれに限らず様々なことが言いやすい)。
 この二つは、いずれも性にまつわる情報が含まれている。そして、かなり色合いは異なるがよく言及される社会的課題(前者は性的マイノリティ、後者は性犯罪)であるだろう。でも、なんか後者は言及しづらい。前者は、本人が公にしたということであるならば、それはもう公の事実として扱ってもいいだろうという感じがする。
 後者も、オープンにしたんだから、扱い方はともかくとして、とりあえずオープンな事実としては扱っていいはずで、というかわざわざ覚悟を決めて本まで出したのだから、なかったことにされるのも嫌だろう。というか、そういう話を「なかったことにする」みたいな慣習に一石を投じたいからあえてオープンにしたんだと思うんだけど。別に自分が悪いことやったわけじゃないのに、隠すが生じる、というのがおかしいのではないかということで、物書きとして書き残してみたのではないかなという気がする、多分。でも、結局、正直、やはりオープンな情報としては扱うのは難しい。言及すること自体で自分がどう思われるかも気になってしまうから。というわけで難しい。
 さて、あまり文章構成は考えずに書き流していくが、昔『性犯罪被害にあうということ』という本を読んだのを思い出した。著者自身が自らの体験を顔を出して語ったノンフィクション。どんな気持ちで手にとってどんな感想を持ったかは忘れたけども、ともあれそういう本を読んだということは覚えている。他にも当事者の証言録のようなものはあるのだろうか。
 証言といえば、いわゆる「従軍慰安婦」問題は、証言という意味でも難しい。国家間の政治的な問題にまでなってくるし(日本人の女性もいたそうだが)、被害者が証言に出るのが勇気が必要なのは自然だが、加害者の元男性軍人が「そういう事実があった」とか「自分が関わった」ということを証言するのは、勇気がいるというよりは、非常に恥ずかしく・情けなく感じるので、わざわざ公の場にまで出てきて証言するのははばかられるだろう。かと言って「証言」したことで過去に加担した事実がなくなるわけではないし、「証言してくれてえらい」とまで言えるかというと、それもまた難しい。でも、色々と非難される可能性も承知の上で証言するわけだから尊重しなければならないというか、尊重しないと記録・証言が残らないまま風化していってしまう。「従軍慰安婦」の証言に関しては、Web上でも参照できるものがあるのでリンクを貼っておく(自分自身は、関心というよりは必要性があって読んだ)。このブログは備忘録的なところがあるので、その意味でリンクを貼っておくということでもあるかもしれない。
 まあ、こうやってキーボードを打ち込んでいてリアルタイムで思うのは、様々な話題へと連想して飛び散ってしまうということで、しかし、それぞれはかなり性質や程度の異なった問題で、そんなカジュアルな扱われ方をされるのは、それぞれ嫌かもしれない。とはいえ、そういうことを考えていると本当に何もいえなくなってしまうので、こっそりと書いてみた。そして、改めて、言及しづらいものだな、というのを自分で確認した。

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