2016年6月10日金曜日

安部公房『友達』について

 「故人は常に、われらが良き友でありました。しかし友よ。君がなぜこのような運命に見舞われなければならなかったか、おそらく、君には分からないでしょう。むろん、私たちにも、分からない。(新聞をひろげ)では、君が待っていた新聞ですよ。どうぞ、心おきなく、お聞き下さい。(上演当日の朝刊の主だった記事を、ひろい読みする。国際政治から広告まで)そう、世界は広い。広くて、複雑だ。さあ、元気を出して。」
 これは、安部公房の戯曲『友達』の最後のシーンに出てくるセリフ。この戯曲は、一人暮らしの男のマンションに、突如として見知らぬ家族が押し掛けてくる場面からはじまる。父、母、祖父、兄弟3人、姉妹3人の合計9人の家族、男のまったく見知らぬ面々なのだが、図々しく親しげに男の部屋に上がり込み、部屋を占拠され、最後には檻に入れられて、男は憔悴して死んでゆく。男の葬式を執り行う場面で家族の中の父が弔辞を読み上げるのだが、そこに上記のセリフは現れてくる。
 この説明で分かるように、この戯曲『友達』は基本的に、訳の分からない救いようのない、どうしようもない話で、もちろん、要約したからさらに訳が分からなくなっているという面も大きいのだが、ディテールを追っていっても印象は変わらないだろうと思う。なぜだか分からないけども、平穏に一人暮らしをしていた男の家に、家族が突然訪れてきて、そこを起点にして訳の分からない出来事が次々と起こっていき、最後に男は死ぬという構造に変わりはない。家族に悪意があったという話なら分かりやすいのだが、特にそういう訳でもなく、「君がなぜこのような運命に見舞われなければならなかったか、おそらく、君には分からないでしょう。むろん、私たちにも、分からない」と父は言い放つわけである。 
 不条理的な作品が流行って時期というのがあり、『友達』も不条理演劇のひとつといえばそれまでなのだが、注目すべきは、父のこのセリフの中の、当日の朝刊を読み上げる場面。この戯曲の初演は1967年で、その頃だったら当時の朝刊が使用されたのだろうし、いま上演するならば今の朝刊の見出しを拾い読みしていくこととなる。
例えばここで実際に、現在の時刻の朝日新聞社のニュースサイトの見出しを適当に並べてみよう。

 ベルルスコーニ伊元首相、心臓を手術へ 一時は「深刻」
 増税再延期の会見「絶望感に襲われた」 野田前首相
 時の記念日にトケイソウ見頃 兵庫・明石の天文科学館
 逮捕の男は中学講師、市教委が謝罪 福岡の強姦未遂容疑
 発電所の水流出問題、九電が地質調査開始
 「凶器はサバイバルナイフ」 容疑の元米兵が供述
 岩田寛、初日は26位 米男子ゴルフ第1R
 関西の物流施設、海沿いより街なか 「人手集めやすい」
 17種類の美容・健康成分入りゼリー 資生堂が発売

 良いニュースもあれば悪いニュースもある。日本のニュースサイトであるから、国内の事件についてが多いが、イタリアの政治家の手術から、増税再延期に関する元首相の会見、発電所の不具合に関する調査、資生堂が発売したゼリーの話まで、特に必然的な連関はなく、一定のニースバリューがあると見做されたものが列挙されている。
 訳の分からないことが起こり続ける「物語」の最後で、私たちの現実も訳の分からないことが起こり続けることで成り立っているという「現実」が突きつけられる。
 現実では様々な出来事が、相互に何の意味も脈絡もなくただただ「起こる」。「そう、世界は広い。広くて、複雑だ。」
 いまここで自分がこうやって暮らしていることとは関係なく、日本で、世界で、さまざまな出来事が、良い事も、悪い事も、「起こる」。もしかしたら何らかの社会理論や歴史観から、これらの出来事の関係性を説明して納得できる「物語」を作りだすことは出来るかもしれない。とは言え少なくとも、自分がここで笑って過ごしていようが、泣いて過ごしていようが、一日中ツイッターを流し読みしながらアプリゲームをやっていようが、そこそこの企業の中間管理職として上司と部下の間で板挟みになっていようが、恋人と素敵な記念日を過ごしていようが、不倫相手から中絶を迫られようが、そんな私たち一人一人の過ごし方によって新聞の送り伝えるニュースが変化するわけでもなく、日本で、世界で、さまざまな出来事が「起こる」という現実に変わりはない。
この現実の無意味さ、不条理さに耐えられるだろうか。「さあ、元気を出して」とでも言うほかはない、のだろうか。
 数十億人が暮らすこの地球の上で、現実的に言って自分一人の人生は砂粒のようなものに過ぎない、そういう現実に耐えて生きていくことが出来るだろうか。
 僕自身は、この戯曲について知ったのは5~6年前で、2年前にある学生劇団が上演しているのを観に行ったことがある。そして、最近になって、「そう、世界は広い。広くて、複雑だ。さあ、元気を出して」というセリフが重く感じられるようになってきた。
 ちょっと別の話をすると、実は鴻上尚史が『人生に希望をくれる12の物語』という本の中でこの戯曲をひとつの作品として取り上げていて、僕のこのブログ記事もその紹介の焼き直しに等しいのだけど、鴻上尚史も非常に丁寧で生き生きとしたわかりやすい文章を書きつつ深刻なテーマを投げかけてくる人だな、と思う。