2016年7月25日月曜日

鴻上尚史『孤独と不安のレッスン』

ページ数はだいわ文庫版から。太字は私による改変です。
「不安から自由になれる人はいません。どんな人も、不安にとらわれています。死ぬまで、不安と一緒です。」(p.5)

「最終責任を取るのは、当たり前のことですが、自分しかないのです。」(p.81)

『他者』とのつきあい方には、「これが正解だ」という分かりやすい解答はありません。ないからこそ、『他者』だとも言えます。」(p.141)

「『他者』とうまくつきあえる人は、自分の不安ともうまくつきあえるのです。「前向きの不安」を生きられる人です。そして、孤独とも。」(p.148)

「他者を作ることは、難しい事ではありません。
「本物の孤独」を生きた後に、好きな人を作る、家族にはっきりと思っていることを話す、友達を大切にする。
とにかく、あなたにとって、大切な人と向かい合えばいいのです。
ただエネルギーは必要です。
コミュニケイションをあきらめないエネルギーです。あきらめなければ、だんだんと『他者』とのつきあい方は上達していくのです。
それは、スポーツや習い事が上達することと同じです。経験が、あなたを成熟に導くのです。それは間違いのない事実です。」(pp.149-150)

世の中で一番重要な戦いは、自分の不安との戦いです。
ほとんどの場合、人は、相手にではなく、自分の不安に負けるのです。」(p.150)

「「男は女が分からない」「女は男を理解しない」なんてキャッチ―な言葉も信用してはいけません。
男は女が分からないのではありません。男は、女も男も分からないのです。女は、男を理解しないのではなく、女も理解していないのです。
「男は女が分からない」と発言する男は、恋に落ちて、初めて、目の前の女性を理解しようと思ったのです。つまり、生まれて初めて、心底、理解したいと思ったのは、目の前の女性だったのです。
それまでは、たとえば同じクラブの同性の先輩を、そんなに深く理解しようとは思ったことがなかったのです。
先輩と一緒に喫茶店に入って、先輩がトマトを残した時、
「先輩、トマト、食べないんすか?」
と聞いて、先輩が、
「俺、トマト、だめなんだよ」
と答えても、心の中のメモに、
『先輩は、トマトがダメ。メモメモ。』なんて書かなかったのです。
けれど、恋に落ちた時、目の前の女性が、
「私、トマトだめなんだ」
とつぶやけば、間違いなく、心のメモに深く書き込んだでしょう。
つまり、初めて理解しようとする相手が、男の場合は女であることが多いのです。女性は男性の場合が多いのです。
[中略]
そして、『他者』として理解できないから、「男は女が分からない」「女は男が分からない」とつぶやくのです。
けれど、それは、「人間は人間が分からない」の間違いなのです。
親子関係で最初にもめた子供は、「大人が分からない」と言うし、兄弟でもめた場合は、「兄弟は他人の始まり」なんてつぶやくのです。」(pp.162-164)

「マスコミが”自意識”を研ぎ澄ませ、成長させた、という理由も大きいと思っています。
マスコミは、毎日、膨大な「自分について考える」ための情報を、僕たちにくれます。
おしゃれに関するさまざまな情報、恋愛、食べ物、仕事、金銭、事件……。
さらに、テレビドラマや漫画や映画や小説や演劇が、いろんな人生の可能性を教えてくれます。
それらをたくさん抱え込めば抱え込むほど、私達は、自分自身に対して、さまざまなことを考えるようになるのです。
こんな現実に生きていて、自分の発言や自分の未来や自分の人生に敏感にならない人間がいたらおかしいのです。
そして、自分のことを考えれば考えるほど、”自意識”は成長するのです。」(pp.185-186)

「そういう時は、僕は学生一人一人の顔を見つめながら、内心、「どうか君の人生で、『孤独と不安』をごまかすために、”怪しげな宗教”や”体だけを求める男”や”金だけを求める女”や”断定する占い”や”勇ましい国家論”や”密着する家族”や”詐欺のような金儲け”や”社畜が好きな会社”にすがりつくことだけはないように」とつぶやくのです。」(p.223)

「どうして「何をしたらいいのか分からない」ということを学ぶ必要があるのか?とあなたは疑問に思うかもしれません。
それは、人生がそういうものだからです。
あなたは、人生のどこかで、必ず、「何をしたらいいのか分からない」状態になります。
会社で働いている真っ最中か、結婚がうまくいかなくなった時か、子供ができて問題を起こした時か、退職した60歳の時か、人生のどこかで、間違いなく、「何をしたらいいか分からない」時が来ます。
そして、60歳でそういう時を迎えるのなら、20歳前後で経験しておいた方がいいだろうと、僕は思っているのです。」(p.226-227)

 一浪して大学に入ったころの僕は、それまで内向的だった自分を何とか変えなきゃと思って(今でも内向的な方だと思うが、あの頃は文字通り病的に内向的だったと思う、あまり周囲にはそう思われていなかったかもしれないけれど)、色々サークルを見て回っていて、なんとなくどれもピンと来なくて、ある演劇サークルに雰囲気の良さを感じて入った。
 自分にとって演劇というものが何なのかというと、あまり歯切れの良い事は言えなくて、別に演劇じゃなくても良かったんじゃないかとも思うのだけど、ともかくそのサークルで人生の一時期を過ごせたことは今の自分にとって大きな糧になっている。
 演劇について色々と触れていく間に、鴻上尚史という劇作家の存在を知って、何度か舞台を観にいったこともあるけれど、むしろいくつかのエッセイにかなり影響を受けたと思う。『孤独と不安のレッスン』もその一つで、今でも折に触れてパラパラと読み返している。

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