この件は一つの時代の証言録として何か書いておきたいけども、とりあえず第一報として。確か7〜8回受けたのかな?
2025年3月15日土曜日
2025年3月5日水曜日
灰原哀について(5)
「どうして…どうしてお姉ちゃんを助けてくれなかったの? あなたほどの…あなたほどの推理力があれば、お姉ちゃんのことなんて簡単に見抜けたはずじゃない。なのに、どうして、どうしてよ…」
灰原哀初登場回の終盤でコナンに対する言葉。初登場回での灰原は、コナンに対しては様子見、お手並み拝見というところだった。コナンは、黒の組織が宮野明美(灰原哀=宮野志保の姉)を殺害するに至った事件に関わっていたが、結局、宮野明美を助けることはできなかった。このセリフの前の時点で灰原は、自分が宮野明美の妹であるという立場は明かしていなかった。そもそも自分のこの立場に気付くのはいつなのだろうかというところで、灰原はコナンの推理力を測ろうとしていたところもあると思う。そして、そもそも宮野明美を助けられなかったというところで、大した推理力は期待できないだろうと最初から思っていた。
そして、コナンと灰原はともに現場に居合わせた事件、コナンは最後には綺麗に解決して見せたが、途中まで解決に至らないコナンを灰原は「やっぱり大したことないわね」と思っていた節がある。コナンは、その予想を上回る、ある意味では裏切るような際立った推理力を発揮したのだ。
灰原は、「この程度の探偵なのだから、お姉ちゃんを助けられなかったのも仕方がない」という納得をしようとしていたと考えられる。そして最後に納得できかけた時に事態が覆ってしまったのだ。コナンは驚くべき推理力を発揮し、灰原は驚嘆した。それと同時に、ではなぜ姉は救われなかったという不条理に悔しさを感じた。
灰原哀(宮野志保)は科学者である。普段の言動からは、物事の大体の状況については明快に理解して説明ができるという自信が感じられる。「ま、そんなところね」なんて言い方をよく使う。灰原哀にとって、世の中のほとんどの出来事は「そんなところね」と言えば済むような話なのだ。コナンが初登場回で最後に事件を解決できていなかったら、灰原哀は姉の死も「ま、そんなところね」と思ってなんとか呑み込もうとしたのだろう。
だから灰原哀は、その予期を上回る江戸川コナン(工藤新一)の推理力の高さに驚嘆したし、彼が関わりながらもなお姉が救われなかったという事実に打ちひしがれた。説明・理解できない現実に対しては、「ま、そんなところね」とは納得できず、驚嘆し、悲しむしかなかったのだ。
2025年2月24日月曜日
灰原哀について(4)
とにかく、灰原愛については何かしら連投していくことにする。
アニメ史上に残る記念碑的キャラクターだからだ。アニメは「普通に見てきた」くらいだけど、きっとそうなのだ、と断言したい。
最近、カップ麺の「赤いきつね」のアニメCMが女性差別的だとしてXの一部で批判にさらされているが、その背景にはこの10年程度で新海誠的な画風のアニメーションが一般に浸透した一件がある。おそらくはあのCMが、女性に対してかなりの幻想を投影していることは確かだが、そういうアニメの描き方は世の中に既に浸透しているので、さほど問題とはされていない。これは、アニメにもいろんな画風があり、それは社会的な条件とも相関しうるという事例として重要ではないかと思う。
新海誠的なアニメーションの女性像に比べると、灰原哀、というか、名探偵コナンのキャラクター全般はかなりの古さがある。その中でも時代の層の違いがあるという要素もあり、たとえば安室透はやや最近に登場したキャラなのでテイストが違うというところがある。
灰原は、おそらくは初登場した当時は、かなり色んな要素を組み合わせた画期的な魅力的キャラクターだったのではないだろうか。作者も、ここまで人気になることは予想外だったそうだ。
名探偵コナンのアニメは当初、短期間で放送は終わる予定で、灰原哀の登場はなかった。そもそも名探偵コナンは、少年マガジンで人気作となった金田一少年の事件簿に対抗する形で、新たなミステリー漫画として少年サンデーでの連載が始まった。原作者は、当初は短期間で連載をやめる予定で始めたし、実際途中で投げ出したいとも思っていたそうだが、劇場版が制作されることが決まったところでかなりやる気が出たらしい。
灰原哀を、人気声優の林原めぐみが演じたことも大きいだろう。
多くの事情が重なり、灰原哀は歴史的なキャラクターとなった、と思う。2023年に上映された『黒鉄の魚影』が、このアニメの劇場版シリーズの中で初の興行収入100億円を突破したことで、それは確かな歴史として刻み込まれたのではないか。
2025年2月23日日曜日
灰原哀について(3)
今期の名探偵コナンのアニメはOPがBut ノーラヴ、EDが Shooting Starで、OPでは灰原哀はメインキャラの一人、EDで一番のメインキャラ、という形で登場している。ほぼ繰り返しになってしまうが、一番のメインキャラとしてまた登場したというのが画期的だし、OPとEDに同時にメインキャラとして登場しているのも画期的である。本来は、特に黒の組織編でコナンと深く関わるサブヒロインとしての役割であったが、ストーリー上でもその重要度は高く、次第にキャラクターとしての人気が上昇していき、各種の人気投票でも高ランク、ときにはトップに位置している。
『名探偵コナン』新ノンクレジットED WANDS「Shooting star」
初め10秒、志保が暗い草原の中で、白いワンピースを着て物憂げな表情で立っているシーンが出てきている。これは、もはや主人公扱いと言っていいレベルである。
最近の灰原はかなり明るくなったということもこのEDではわかるようになっているけれども、同時に、心の中のどこかではこのような孤独な心象風景がまだ広がっているのだろうなと思う。この高潔さが似合うのが魅力のひとつでもある。孤独さ、孤独さが似合う雰囲気、これは人気の秘訣だろう。
2025年2月22日土曜日
灰原哀について(2)
これはもうよく言われることだが、灰原哀は苦境に負けないところが良かった。負けそうになってもなんだかんだで助かっている。
宮野志保が、おそらくは絶望して死を選ぼうと毒薬のAPTX4869を飲み、しかし幼児化して組織から逃げ、「灰原哀」を名乗ってスタートした。Grayからとった灰、愛ではなく哀にした。灰色の状態から始まり、そこには哀しさがあった。灰原には、組織に殺された姉のもとに行きたい、つまり生きることを終わらせたいという気持ちもあった。APTX4869を飲むことは、おそらくは「賭け」ではなく、本当に死を望んでいたのだろう。しかし、生き残ってしまった。幼児化してもなお死を選ぶ、ということはできただろうと思う。でもそれをできるほどではなかった…。彼女は姉を亡くし、新しい仮の人生が始まった時からすでに、生と死の間で揺らいでいた。
生と死の間での揺らぎは、その後常にあった。自分が周囲を巻き込むくらいなら死んだほうがいいと、何度も思った(※)。でもその度に、誰かの言葉に、誰かの行動に助けられてきた。
彼女は多少は悲観的かもしれないが、基本的には現実主義だと思う。新一(コナン)はその圧倒的な能力のゆえに楽観主義で、その自信過剰さのゆえに足元をすくわれ幼児化してしまったので、死を選ぼうとして幼児化した志保とは対照的だ。コナンの楽観主義に、悲観的な灰原はずっと助けられてきただろう。
どんな時でも苦境に負けまいと思って生きてきたわけではなくて、何度も挫けそうになったけども生き延びてきた、そして徐々に生きる意志は強くなってきた、そのような姿にみんな心を打たれているのではないかと思う。
※ただし、2023年の劇場版『黒鉄の魚影』では、もう死ぬしかないというような諦念はどの場面でもまったく感じられず、常に生き残ろうとしていたのは新しかった。
灰原哀について(1)
灰原哀については、何か書いておきたい。まとまったものを秩序だてて書こうと思うといつまでもまとまらないと思うので、ツイートの延長線上のような気持ちで断片的に思いついたことを積み重ねていこうかと思う。(そういえば、ブログがメインの時代にTwitterが席巻したのは、「短文で気軽に発信できる」という特徴があったからだよね…)
名探偵コナンにおいて灰原哀はよくサブヒロインなどと位置付けられるし、それは穏当な見解ではあるのだけど、あの世界観から見た時には、サブヒロインかどうかなどという問題は超えて、世界の命運を握っているもっとも重要な人物と言っていい。
なぜ人気キャラになっているのか、色々な理由が語られるけれども、これが源泉であり原動力であるのではないか、という説をとってみたいと思う。
世界を左右するような運命にある人、というのが、注目されないということは、逆に難しいだろうと思う。
2025年2月7日金曜日
この数年間について思うこと
2025年2月2日日曜日
フジテレビの件
フジテレビの件については、独自の視点は特にないが書き留めておきたいと思う。
確か、12月下旬頃、「文春から世間を揺るがすすごいネタが出る」という誰かのツイートを見た。芸能人のスキャンダル程度の話なのかな…と思っていたが、結局、この1ヶ月で世の中を大きく揺らがせた。フジテレビの会見は10時間にも及んだ。
最初の時点での文春の報じ方としては、中居正広がある女性と、要するに「不同意性交」の事案を起こし、9000万に及ぶ多額の示談金を支払ったということだったと記憶している。そしてここにフジテレビの社員が関わっているということも問題とされた。
個人的に驚いたのが、あのインフルエンサーのたぬかなが、中居正広を批判する側へと回ったこと。たぬかなは女性インフルエンサーだけど保守的なところがあり、基本的に男の側へ回る。松本人志の不同意性交の際も女性の側を批判していた。Twitterでたぬかなの切り抜き動画が回ってきて、「たぬかなはご乱心なのか!?」と思いながら見たところ…途中から驚くべき話が語られた。どうも中居正広がやったことは、他の週刊誌の噂によれば、傷害罪にも該当するような相当に凌辱的なことであったらしい。PTSDだけでなくさまざまな手術や治療が必要なレベルだそう。たぬかなの切り抜き動画が回ってきた頃は、この件の深刻さが一段階深まった丁度潮目だったと思う。
これが本当だとすれば、フジテレビは犯罪レベルの問題を組織的に起こし、それを隠蔽していたということになる。そこからフジテレビからスポンサーが続々と離れていって、離れた会社の数は現在は、100社近くになっているのではないだろうか。もっとも会見では幹部は、被害者の女性に配慮してあまり公にできなかったと主張していた。そして2025.2.2.の時点では、社員が関わっているという部分は誤報であったと文春も訂正したのだが…。
その女性は、ちょうど2023年にPTSDによってフジテレビを退職したアナウンサーなのではないかという情報も広がった。彼女は以前からPTSDによって退職してさまざまな治療をしていることをSNSで発信していた。この関連性ははっきりと確定しているものではないけど、否定している人も見当たらない。そしてそのアナウンサーは今年の1月にフォトエッセイを出して話題を呼んででいる。(揶揄などの意図は微塵もない上でいうと、PTSDに罹患している状態でフォトエッセイを出すという心境はどのようなものなのか気になる。)
この事件で不思議なのは、はっきりしないことが多すぎるまま、大手テレビ局が経営の危機とも言って良いような事態に陥っているということ。結局のところ、会社としての関与がどれくらいあり、現場では何が起こっているのか、確固たる情報はあまりない。被害者が誰なのかも、極端にいうと噂レベルのままで止まっている。フジテレビの10時間の会見でもこれらの話は濁されたままだったと思う。二次加害になってしまうからという理由ではっきりさせられないというのもあるのだろう。特殊な情報源を持たない一般人としては、経営の危機に陥っているくらいなのだから、やはり相当の出来事があったのだろうと推測するくらいしかできない。
これからフジテレビはどうなるのだろうね?昔、フジテレビには好きなテレビ番組がたくさんあった。ドラマだと、古畑任三郎、白い巨塔、GTOなど。ドラマ以外もたくさん。今はYouTubeやTikTokなどの動画サイトの影響力が大きく、さまざまなサブスクサービスで動画コンテンツも配信されていて、テレビの栄華の時代は終わっている。おそらくは、その流れを加速させることになるだろうという話になるが…。
去年は東京都知事選で石丸伸二が蓮舫を抜いて2位になり、YouTubeを積極的に活用した選挙戦略が奏功したということが言われ、ネットの影響力も本当にテレビを超えるレベルに達したのではないか、ということもあった。兵庫県知事が数え切れない数のハラスメント疑惑で一旦辞職したものの、その後再選挙で返り咲き、その顛末の背景にはマスコミの報道の信頼感の低下があるのではないかとも言われている。
(このようにまとめていくと、本当に大事件だな…。僕も個人的にこの何年間か、人権侵害のような仕打ちを受けて大変に嫌な思いをしていて、精神も身体も健康を蝕まれ、社会的にも抹殺されかけたような感じで、それは僕の人生における一番と言ってもいい大きな事件なのだが、そんなことも些細な話に思えてしまう…。)
2025年1月16日木曜日
ファイヤアーベントについて言い伝えられるところ
ファイヤアーベントのAnything goesというフレーズは励まされる。
彼は科学哲学者だが、「医者よりも占い師の方が病気が治せることもある」と本気で主張するそうだ。
「科学」が「進歩」するためにはAnything goesで行くしかないというのだ。
Anything goesは、科学を導く「原理」というわけではないらしい。
日本語に訳すなら、「なんでもあり」とでもなるかもしれないけど、これだとロックンロールな感じが出せない。
Anything goesと言うしかない。
これは、事実として言っているというよりは、どうやらある種のアジテーションとして言ってるらしい。
正直なところ、「医者よりも占い師の方が病気が治せることもある」と思ってる人は結構いるはず。
そういう意味では、最初から世間はAnything goesになってるのではないかとも思う。
ただ、ファイヤアーベントが気になるような人は、Anything goesとは素朴には思えない。
だから、ファイヤアーベントのアジテーションで勇気付けられるのだろう。
2024年12月21日土曜日
裁判
2003年の唐沢寿明主演のフジテレビのドラマ『白い巨塔』では、「医療ミス」をめぐる裁判が後半に出てくるのだけど、それを見ていて思うのは、裁判ってあらゆる人を不幸に巻き込むのだなということ。
それでも裁判以外に納得する方法もないし紛争解決の方法がないから裁判をやるわけだけども…。
最近、ある事件が高等裁判所で逆転無罪になった判決が話題になっている。
これは、事実に関する争いというよりは、「同意があったかどうか」ということをめぐる法律的評価に関する争いだった。
それでまぁ、色々飛躍すると、法律って本当に闇だなと思う。。。。
2024年11月5日火曜日
励まされるセリフ
励まされるセリフ。苦境に立たされている人が、いかに現実と対峙するか。
①鋼の錬金術師1巻の「立って歩け 前に進め お前には立派な足がついてるじゃないか」。恋人をなくした天涯孤独の若い女性が、死人を復活させられるという教祖にすがりついて生きてきたのだけど、教祖がペテン師だと分かって絶望した時、主人公のエドがその女性にかけたセリフ。確かにエドは、錬金術を研究して亡くなった母親を復活させようとしたら逆に腕と脚を失ってしまったという、過酷な絶望を経験してきてはいるのだが…。
②名探偵コナン29巻の「逃げるなよ灰原… 自分の運命から…逃げるんじゃねーぞ」。灰原は、端的にいうと自殺しようとしたのだが、コナンがギリギリのところで命を張ってそれを救い、こういった。これはのちに灰原の「あなた言ったじゃない…逃げるなって…運命から逃げるなって…守ってくれるんでしょ?」という決意のセリフへもつながった。
③ファイナルファンタジー10の「悲しくても……生きます。生きて、戦って、いつか、今は変えられない運命でもいつか……必ず変える。まやかしの希望なんかいらない。」というユウナのセリフ。
ユウナの一行は、世界各地で暴れて自然災害のように街を破壊し人々を殺している「シン」を倒すために、長い旅の果てにユウナレスカに究極召喚を授かりにきたのだが、究極召喚ではシンを一時的にしか止められないということがわかった。
究極召喚はそれと引き換えに召喚士は死ぬというもので、ユウナは自分の命と引き換えに世界を救うというつもりでここまで来ていたけども、そういうやり方では世界は救われないということがわかった。
「究極召喚は希望であって、希望がなくなったら生きていても悲しいだけだ。他の召喚士もみんな希望のために死んでいった」というユウナレスカに対して、ユウナはそのような形で、「まやかしの希望」でしかない究極召喚は使わないという決意の言葉を返した。
RPGなので、その後ユウナレスカが「あわれな、それならばここで終わりにしてやろう」みたいなことを言ってボスとして戦うことになるのだけど…。
命をかけて求めてきた「希望」が「まやかし」だったと知った時に、それでもあきらめようとはしなかった。生きることと死ぬこと、希望と絶望が交錯している。
2024年11月4日月曜日
暗い人
暗い人が好きだ。男女関わらず、ね…。
なぜかって、世の中は本来暗いもののはずで、だから、暗い人というのは世の中の真実を捉えられているから。
これは、誰だって悲しいときはあるとか、一見うまくいっていそうな人でも実はつらい事情があったりする、というような話とはまったく関係ない。
そういうことではなくて…世の中の暗さを自然と直視せずにはいられない人、ということ。
ここまでで終わりにしたいのだけど、最後に一つ付け加えると、そういう意味において中島みゆきは良いのである。
2024年10月30日水曜日
SNSについて
僕が初めてSNSを始めたのはmixiだった。その頃は浪人生で、牧歌的で…僕の投稿を見ていたのはせいぜい数人程度だった。
mixiはそのまま続いて、大学生になってからは、「mixiをやっているか?」がみんな挨拶のようになっていた。マイミク(mixiで繋がっている友達)の人数というのは多少は強迫観念になっていたと思う。その後Twitterが台頭して、みんなmixiは覗かなくなり…mixiはいつの間にか衰退していた。
僕にとってはmixiやTwitterは、拠り所であり続けた。この二つのSNSがあったおかげで、僕のことを「面白い人」「興味深い人」と認識してくれるに至っている人は、少なくないと思う。特にTwitterについては、このおかげで色んな人間関係もできた。色んな話題でかなりストレスが溜まった時期もあったが…。この二つがなかったら人生どうなっていただろうか。
今日もなんとなく書き始めてみたけど特に着地点が見つからないな…ただまぁ、自分の人生にとっては「SNS」という一言では尽くせない切実なものが詰まっているものではある。
2024年10月28日月曜日
感情と感覚
昔、臨床心理士さんに「失感情症」「失体感症」という言葉を教えてもらったことがある。感情や身体感覚を感じづらいために生活に支障が出ている状態ということだと思う。この二つの概念は、この10年弱流行っている「発達障害」などと比べると、マイナーだと思う。
マイナーなだけに、これを言われた時に僕はすぐに「自分はそういう状態だったのか」とすぐに納得した。発達障害の場合、誰も彼もが「私も発達障害なのかも」とかって言っていて、流行りだから逆に僕は怪しむのだけど。
でも、よくよく考えると、元々特に男性って「感情や感覚を感じるのはダサい」って教え込まれるようなところがある。そしておそらくは「感情や感覚は感じるべき」というのは、普遍的真理というよりは、現代になって出てきたトレンドである。
僕は「発達障害」というのもある種のトレンドとしてクローズアップされてきていると思っている。
ということは、「失感情症」「失体感症」もトレンドで、ただ、マイナーなトレンドなので、自分はすぐに信じ込んでしまったということなのかな。
一家言ある人とか専門家の皆さん、たとえばDSMが云々とか言わないでくださいね。そういうのを批判したいので。
2024年10月27日日曜日
おもいきり泣いたら 昨日までのことは全部忘れよう
ZARDの坂井泉水さんは2007年に40歳で亡くなったが、生前の最後の曲がこれ。このブログ記事のタイトルは歌詞の一節。歌詞は英語になっている部分が多いけど、おそらくそれは、歌詞のすべて書き切る時間がなく仮の収録にしたから。
坂井泉水さんは、2000年(33歳?)の時から子宮筋腫などの病気が次々と見つかり、2006年に子宮頸がんが見つかり、2007年4月にがんの肺への転移が見つかり、5月下旬の早朝に入院中の病院のスロープから転落死した。伝えられるかぎり、転落死というのは本当に事故。今の僕はもう、坂井泉水さんが最初に病気が見つかった頃の年齢を超えてしまった…
YouTube欄のコメント欄の記述を、動画も消えちゃうかもしれないし、コメントも消えるかもしれないので、そのまま引用させていただこうと思う。
「体調が優れない中 でも、どうしてもサビの部分を歌わなくてはいけなくて、 病院からお母さんと一緒にスタジオに来て、 一人では立てないような状態で、周りも「ちょっと無理かな」と思っていた瞬間、 まるで全盛期を思わせるような、 力強い歌声を披露して、スタッフは体の震えが止まらなかったそうです。まさに 坂井泉水さんの全身全霊を込めた歌声だったのかもしれないですね。」
7年間に及び病気と闘っていて、基本的にはおおむね悪化傾向ということだったのだろう。無念さ、悔しさはたくさんあっただろうな…。でも、この7年間の曲や歌詞は、まったくそういう雰囲気は感じない。そういう空気を感じさせないままに最後まで前向きに歌い続けたということは励まされることだと肯定的に解釈したいと思う。生前は、病気のことは詳しくは知られていなかったはず。
がんが肺へ転移したとなると、どの道先は長くなかったのかもしれない。
「負けないでもう少し 最後まで走り抜けて」
一番有名な代表曲のフレーズのこれのように、自分にも言い聞かせていたかもしれないよね。
2024年10月25日金曜日
傷について
「大なり小なり誰だって傷を抱えて生きているのだ、とも思う。あなた自身を、出来事や外部に定義させてはいけない。あなたのことはあなた自身が定義するべきなのだから。」
これは三浦瑠麗さんが『孤独の意味も、女であることの味わいも』の終章(pp.138-139)に書き記していたもの。この本はエッセイだけど、ひとつには彼女の性被害の体験も中に収められていて、クローズアップ現代に三浦さんが出演した時などは、やはりその側面が取り上げられていた。
しかし、である。繰り返しになってしまうが、本人は、その本の中で「あなた自身を、出来事や外部に定義させてはいけない」と言っている。そうだとすると、性被害の体験も、人生の中で、特別で特権的な意味の持つエピソードとしては書かれていないということになる(と思う)。実際そのように書かれている(と思う)。
いや、しかし、である。「あなた自身を、出来事や外部に定義させてはいけない」と意識的に書き記さなければいけない程度には、おそらくは彼女も「出来事や外部」に定義されてしまいそうになっていたのだろう。でも、それに抵抗してこの本は書かれている。
三浦瑠麗さんは色々批判されるが、ここについては、このエッセイのこの部分は勇気をくれる話。誰だって傷は抱えているし、そういうことに振り回されては人生つまらなくなってしまうと、身をもって主張してくれているのだから。
(ただまぁ、男性の立場からそういうことを言うと政治的には問題含みかもしれず、「いや、重大な犯罪被害なのだから重大な出来事として受け止めるべきだ」となるかもしれない。)
2022年9月24日土曜日
原子力発電について
以下、誤りや不正確な部分があるかもしれないけど走り書き。
原子力発電で生じる高レベル放射性廃棄物は、10万年間保管しておかないといけないそうで、地下に埋める計画になっているらしいのだが、どこで地震が起こるかわからない日本でそれができる場所があるのか?(他の国も具体的な廃棄計画はあまりないよう)「どこに埋められるのか?」ということで、日本では、20億円の交付金と引き換えに文献調査に応じた自治体が北海道に2個あるのみ(文献調査の段階は2年間で調査全体は20年間かかり、文献調査に応じているだけで埋め立てに同意しているわけではない)核廃棄物の問題も、奇跡的な技術革新が起こらないと、ちょっとやっぱり難しいんじゃないかなと思う。原子力発電は、電力はたくさん作れるので、懸念される問題については「まあ何とかなるでしょ」っていう感じで(まあ科学技術に関して楽観的になれた時代だっただろうから)先進国諸国が始めてしまったのだろう。さっきのNHKの記事ではあまり触れられていないのだけど、核のゴミを再利用する核燃料サイクルの計画に関しては、うまくいっていないのと、リサイクルしたとしてもやっぱり核のゴミは最終的にはどうしても出るそうで。さっきのNHKの記事によると、北欧のどこかの国では、高レベル放射性廃棄物は地下に埋められたらしい。地理的条件として岩盤が硬い、地質学の専門家メインで計画を進めている(日本では主に電力会社の社員が関わっている)、国民からの信頼がある、などの理由でできたそう。核燃料サイクルはできる見通しはないんだけど、「できない」って決めちゃうと、できるという約束の上で青森県六ヶ所村に集められている核廃棄物を、そのままおいておく正当性がなくなってしまい、モメるので、先延ばしになっているらしい。こっちの先延ばしも、沖縄基地移転問題と同じような、手のつけがたさを感じる。高市早苗は原子力発電に関しては新たに技術開発するって言ってるけど、できるんかね?当選目的ではないので色々主張している野田聖子ですらも原子力発電は当面は維持するべきと言っていて、本当に難しいのだなと思う。今年の夏は電力供給予備率が基準値ギリギリだったようで、冬も厳しいと予想されている。
2021年9月12日日曜日
日本でテロが起こったら?
日本で起こったテロに近いものとして自分が思い浮かぶのは、とりあえずは地下鉄サリン事件かな。しかし、アメリカ同時多発テロのような、外国人によるダイナミックな大規模なテロが起こった時、日本の政治・社会はそれにどのような反応をするだろうか?最近は若干揺らぎつつあるともいえ、もともと同質性の高さを求める社会だし、交通事故や通り魔事件でも毎回かなり騒ぐので、外国人によるテロとなるとかなり厳しい状況(全般的なセキュリティ対策の強化や出入国管理・国籍取得等の更なる厳格化やヘイトスピーチなど)が生じるのではないかなと思う。そういうことを考えたときに、アメリカ同時多発テロに対するアメリカ政府・社会の反応は、きわめて自然というか、アメリカの戦争を他人事として非難できるほどに日本はまともな国であろうか。
アメリカ同時多発テロ事件について
・2001.9.11のときは確か小学5年生で、中学受験対策の塾に通っていて、夜に帰って22時ごろにテレビをつけたらビルに飛行機が突っ込む映像が流れていたような気がする。でも何が起こっているのかいまいちわかんなかった。というか、そもそも社会というものにピンと来ていなかったので映画を見るような気持ちでぼんやりと眺めていたように思う。翌日も塾で社会科の先生がすごい驚いていて(そりゃそうだろう)色々言っていたというのを覚えている。
・確かその先生は某大学の理工学部卒業で、算数と社会の二科目を教えていて、その(ちいさな規模の)校舎の塾長をやっていて、面白い授業で良い先生だった。しかし、2chなどではブラック企業と噂されていた塾で、実際月に一回休みが取れるかどうかって感じだったということを生徒に向けても愚痴っていた(それすらもパフォーマンス化して何とか気持ちを滲ませていたかも)。別に給料も良くはないだろう。働く時間帯もかなり歪で大変な仕事だったのだろうと思う(他人事のようにいうけれども)。のちに噂に聞くところによれば、大学院に入り直したらしい。
2021年9月10日金曜日
本屋が潰れていく。
神保町の三省堂書店が閉店するようですね。よく行ったものだった。そう言えば近所のツタヤも閉店するらしい。本も動画も音楽も、Amazonやサブスクリプションで済ませられるものね。これからも新刊書店はどんどんと規模縮小していくのでしょう。どれくらいのところで落ち着くかね。そもそも紙の本がどこまで残るものか。