2025年3月15日土曜日

ルシファー、医師国家試験に合格

この件は一つの時代の証言録として何か書いておきたいけども、とりあえず第一報として。確か7〜8回受けたのかな?

2025年3月5日水曜日

灰原哀について(5)

「どうして…どうしてお姉ちゃんを助けてくれなかったの? あなたほどの…あなたほどの推理力があれば、お姉ちゃんのことなんて簡単に見抜けたはずじゃない。なのに、どうして、どうしてよ…」

灰原哀初登場回の終盤でコナンに対する言葉。初登場回での灰原は、コナンに対しては様子見、お手並み拝見というところだった。コナンは、黒の組織が宮野明美(灰原哀=宮野志保の姉)を殺害するに至った事件に関わっていたが、結局、宮野明美を助けることはできなかった。このセリフの前の時点で灰原は、自分が宮野明美の妹であるという立場は明かしていなかった。そもそも自分のこの立場に気付くのはいつなのだろうかというところで、灰原はコナンの推理力を測ろうとしていたところもあると思う。そして、そもそも宮野明美を助けられなかったというところで、大した推理力は期待できないだろうと最初から思っていた。

そして、コナンと灰原はともに現場に居合わせた事件、コナンは最後には綺麗に解決して見せたが、途中まで解決に至らないコナンを灰原は「やっぱり大したことないわね」と思っていた節がある。コナンは、その予想を上回る、ある意味では裏切るような際立った推理力を発揮したのだ。

灰原は、「この程度の探偵なのだから、お姉ちゃんを助けられなかったのも仕方がない」という納得をしようとしていたと考えられる。そして最後に納得できかけた時に事態が覆ってしまったのだ。コナンは驚くべき推理力を発揮し、灰原は驚嘆した。それと同時に、ではなぜ姉は救われなかったという不条理に悔しさを感じた。

灰原哀(宮野志保)は科学者である。普段の言動からは、物事の大体の状況については明快に理解して説明ができるという自信が感じられる。「ま、そんなところね」なんて言い方をよく使う。灰原哀にとって、世の中のほとんどの出来事は「そんなところね」と言えば済むような話なのだ。コナンが初登場回で最後に事件を解決できていなかったら、灰原哀は姉の死も「ま、そんなところね」と思ってなんとか呑み込もうとしたのだろう。

だから灰原哀は、その予期を上回る江戸川コナン(工藤新一)の推理力の高さに驚嘆したし、彼が関わりながらもなお姉が救われなかったという事実に打ちひしがれた。説明・理解できない現実に対しては、「ま、そんなところね」とは納得できず、驚嘆し、悲しむしかなかったのだ。

2025年2月24日月曜日

灰原哀について(4)

とにかく、灰原愛については何かしら連投していくことにする。

アニメ史上に残る記念碑的キャラクターだからだ。アニメは「普通に見てきた」くらいだけど、きっとそうなのだ、と断言したい。

最近、カップ麺の「赤いきつね」のアニメCMが女性差別的だとしてXの一部で批判にさらされているが、その背景にはこの10年程度で新海誠的な画風のアニメーションが一般に浸透した一件がある。おそらくはあのCMが、女性に対してかなりの幻想を投影していることは確かだが、そういうアニメの描き方は世の中に既に浸透しているので、さほど問題とはされていない。これは、アニメにもいろんな画風があり、それは社会的な条件とも相関しうるという事例として重要ではないかと思う。

新海誠的なアニメーションの女性像に比べると、灰原哀、というか、名探偵コナンのキャラクター全般はかなりの古さがある。その中でも時代の層の違いがあるという要素もあり、たとえば安室透はやや最近に登場したキャラなのでテイストが違うというところがある。

灰原は、おそらくは初登場した当時は、かなり色んな要素を組み合わせた画期的な魅力的キャラクターだったのではないだろうか。作者も、ここまで人気になることは予想外だったそうだ。

名探偵コナンのアニメは当初、短期間で放送は終わる予定で、灰原哀の登場はなかった。そもそも名探偵コナンは、少年マガジンで人気作となった金田一少年の事件簿に対抗する形で、新たなミステリー漫画として少年サンデーでの連載が始まった。原作者は、当初は短期間で連載をやめる予定で始めたし、実際途中で投げ出したいとも思っていたそうだが、劇場版が制作されることが決まったところでかなりやる気が出たらしい。

灰原哀を、人気声優の林原めぐみが演じたことも大きいだろう。

多くの事情が重なり、灰原哀は歴史的なキャラクターとなった、と思う。2023年に上映された『黒鉄の魚影』が、このアニメの劇場版シリーズの中で初の興行収入100億円を突破したことで、それは確かな歴史として刻み込まれたのではないか。

2025年2月23日日曜日

灰原哀について(3)

今期の名探偵コナンのアニメはOPがBut ノーラヴ、EDが Shooting Starで、OPでは灰原哀はメインキャラの一人、EDで一番のメインキャラ、という形で登場している。ほぼ繰り返しになってしまうが、一番のメインキャラとしてまた登場したというのが画期的だし、OPとEDに同時にメインキャラとして登場しているのも画期的である。本来は、特に黒の組織編でコナンと深く関わるサブヒロインとしての役割であったが、ストーリー上でもその重要度は高く、次第にキャラクターとしての人気が上昇していき、各種の人気投票でも高ランク、ときにはトップに位置している。

『名探偵コナン』新ノンクレジットED WANDS「Shooting star」

初め10秒、志保が暗い草原の中で、白いワンピースを着て物憂げな表情で立っているシーンが出てきている。これは、もはや主人公扱いと言っていいレベルである。

最近の灰原はかなり明るくなったということもこのEDではわかるようになっているけれども、同時に、心の中のどこかではこのような孤独な心象風景がまだ広がっているのだろうなと思う。この高潔さが似合うのが魅力のひとつでもある。孤独さ、孤独さが似合う雰囲気、これは人気の秘訣だろう。

2025年2月22日土曜日

灰原哀について(2)

これはもうよく言われることだが、灰原哀は苦境に負けないところが良かった。負けそうになってもなんだかんだで助かっている。

宮野志保が、おそらくは絶望して死を選ぼうと毒薬のAPTX4869を飲み、しかし幼児化して組織から逃げ、「灰原哀」を名乗ってスタートした。Grayからとった灰、愛ではなく哀にした。灰色の状態から始まり、そこには哀しさがあった。灰原には、組織に殺された姉のもとに行きたい、つまり生きることを終わらせたいという気持ちもあった。APTX4869を飲むことは、おそらくは「賭け」ではなく、本当に死を望んでいたのだろう。しかし、生き残ってしまった。幼児化してもなお死を選ぶ、ということはできただろうと思う。でもそれをできるほどではなかった…。彼女は姉を亡くし、新しい仮の人生が始まった時からすでに、生と死の間で揺らいでいた。

生と死の間での揺らぎは、その後常にあった。自分が周囲を巻き込むくらいなら死んだほうがいいと、何度も思った(※)。でもその度に、誰かの言葉に、誰かの行動に助けられてきた。

彼女は多少は悲観的かもしれないが、基本的には現実主義だと思う。新一(コナン)はその圧倒的な能力のゆえに楽観主義で、その自信過剰さのゆえに足元をすくわれ幼児化してしまったので、死を選ぼうとして幼児化した志保とは対照的だ。コナンの楽観主義に、悲観的な灰原はずっと助けられてきただろう。

どんな時でも苦境に負けまいと思って生きてきたわけではなくて、何度も挫けそうになったけども生き延びてきた、そして徐々に生きる意志は強くなってきた、そのような姿にみんな心を打たれているのではないかと思う。

※ただし、2023年の劇場版『黒鉄の魚影』では、もう死ぬしかないというような諦念はどの場面でもまったく感じられず、常に生き残ろうとしていたのは新しかった。

灰原哀について(1)

灰原哀については、何か書いておきたい。まとまったものを秩序だてて書こうと思うといつまでもまとまらないと思うので、ツイートの延長線上のような気持ちで断片的に思いついたことを積み重ねていこうかと思う。(そういえば、ブログがメインの時代にTwitterが席巻したのは、「短文で気軽に発信できる」という特徴があったからだよね…)

名探偵コナンにおいて灰原哀はよくサブヒロインなどと位置付けられるし、それは穏当な見解ではあるのだけど、あの世界観から見た時には、サブヒロインかどうかなどという問題は超えて、世界の命運を握っているもっとも重要な人物と言っていい。

なぜ人気キャラになっているのか、色々な理由が語られるけれども、これが源泉であり原動力であるのではないか、という説をとってみたいと思う。

世界を左右するような運命にある人、というのが、注目されないということは、逆に難しいだろうと思う。

2025年2月7日金曜日

この数年間について思うこと

 「コンビニに置いてあるような本を開くと誰も辿り着いていなかった世界の真理が書かれているのではないか」というような空想をたまにするのだけど、自分が経験したことの構造はそういうのにちょっと近くて、すんごく嫌な気分になりながらも多少の楽しさを感じているというのはあるのだろうと思う。
膨大な情報や知識を積み重ねた果てに見えてくるものというわけではなくて、ウロウロとずっと歩き回っているとふと真実に辿り着き、そんな素朴なことが世の中において見過ごされ続けるのか、という驚きと、自分はそれを見つけられたのだという達成感が、あるにはある。
21世紀の日本でこんなことってあるんだね、と思った。
今自分が書き記していることはまごうことなき真実なのだけど、陰謀論的な言い方とそんなに区別がつかないのだよね。
だから、陰謀論も簡単にレッテル貼りしてバカにしてはならないのかな、と思い直した。